12時間の夜間旅行*1

学生時代、都内の学校に通っていたこともあり時間が合えばよくホームライナーを利用していた。およそ10年前、ようやくE231近郊型が1運用限定で使われ始めたころだった。

まだ当時は首都圏でも115系など国鉄時代の車両が幅をきかせていた時代。そんな中であってもこの大きなボンネットの車両はひときわ目立つ存在だった。当時それほど鉄道に関する知識がなかったが、それでもこの車両の本来の運用は知っていた*1。夜行急行として雪に閉ざされた冬山を越え、日本海側へと走る。そんな非日常の世界へと誘う列車に乗って遠くへ行きたいと、そんなことをホームライナーとして使われるこの車両に乗りながらよく思っていた。

1月19日。既に3月に廃止が決まったこの列車に乗るべく上野駅へと向かった。特に綿密に予定を立てていたというわけではなく日も暮れたころに突然思い立ち家を出た*2。おそらく今日を逃せば次はないだろうという思いからだった*3

上野駅地上の優等列車専用ホームに入線後、ヘッドマークの付け替えが行われる。かつて見慣れたホームライナーから夜行急行能登へと変わる瞬間だ。ホームライナーでの通勤客のあわただしい風景はなく、旅人たちのゆっくりとした時間が流れていた*4

午後23時37分。接続列車待ちもあって定刻より少々遅れて発車の後、車内放送。初めて聴くオルゴールでない鉄道唱歌が流れ、突然出家を出てきて少々心細くなっていた気分が若干和らいだ気がした*5

車内は6〜7人の乗車。大宮を過ぎると既に終電が終わっている上りホームの照明が消えている駅を見かけるようになる。熊谷、高崎とひとりふたり降りていき最終的には4人くらいになっていた。


高崎を過ぎると車内放送休止…いわゆるおやすみ放送が流れ消灯に。オレンジ色の照明が点き、夜がやってくる。高崎駅といえば青春18きっぷムーンライトえちごに乗った時、完全に「消灯」された能登が入線してきたのを見て、18きっぷ客を満載し、中途半端に減光したムーンライトとの格の違いを見せつけられた記憶がある。そんなムーンライトえちごも臨時列車へと格下げされ、高崎駅で並んだという話も既に過去の話になった。



窓の高さまで積もった雪、すれ違うだけで心強く思える対向列車、夜間保線作業…どれもこれも日常とはかけ離れた光景・心情だ。

午前4時16分、列車は直江津駅に到着。急行能登は終点までまだまだ先があるが、僕はここで降りなければならない。無理矢理時間を作って来た以上*6、あまり長居をするわけにもいかない。

雪の残るホームから、走り去る列車を見送った。

もうこのボンネットを見ることはないだろう…と思いながら。

この後、快速妙高と新幹線を乗り継いで9時30分ごろに帰宅。前日の夜9時30分に出てきたので12時間の夜の旅だったことになる。おそらく、いつもの休日だったら夕食後のくつろぎ時間と寝ている時間だっただろう。この日常から離れた旅は一晩の夢だった…と思ってもいいかもしれない。

*1:ちなみに当時のホームライナー古河は1号がグレードアップ車と一般車が共通運用のあずさ用183系、3号が急行能登用489系、5号は家に帰れないので実際に見たことはなかったがおそらく185系と非常にバラエティに富んでいた。一方の高崎線は当時から185系主体の運用だったのでこのあたりからも宇都宮線高崎線の上を行っていると勝手に思っていたw

*2:実は前日までの土日きっぷで乗る予定はあったのだが悪天候により両日とも運休。19日は下りのみ運行が確定した時点で行くことを決めた。旅行の疲労を回復するために有給を取っていたのが吉と出た感じです

*3:今後は廃止前に乗っておこうという人が日に日に増えていくでしょうからね。

*4:高崎線終電を兼ねていた時代はまったくそんなことはなかったようですけどねw

*5:こんな音楽を載せているとは知らなかった。この世代の車両はオルゴールの鉄道唱歌が当たり前と思っていたので…

*6:予算モナ…